北陸新幹線で東京—金沢が2時間30分・金沢観光のご宿泊は加賀温泉郷山代温泉へ

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おすすめ旅プラン

 

 

山代温泉付近には、初詣スポットがたくさんあります。
一年の感謝、無病息災、祈願成就、それぞれの願いを込めてお参りして下さい。
山代温泉にお泊まりして、近郊の初詣スポットへもお出掛け下さい。

 

服部神社

服部神社

機織の神の天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)を祀るとされています。 927年の書物によるとその時代には大変立派だった社殿も、1552年越前の朝倉義景の戦火にあって社殿を消失しました。 江戸末期には廃絶されていましたが、明治8年、現在の場所に服部神社を再興され、。菊理媛神(くくりひめのかみ)をまつる白山神社と合併して郷社となりました。 服部神社の境内には平成山代八景の一つである、樹齢200年以上の巨樹があり、幹廻り5.9メートルのスダジイをはじめ、タブノキ、ツバキなど自然林が境内に林立しています。 蝉時雨の夏、すだく虫の声の秋など、訪れた人をきよらかな気持ちにしてくれます。
◆石川県加賀市山代温泉18−7

【大晦日情報】
◆12/31
15:00~ 大祓式
23:00~25:00頃 甘酒ふるまい 絵馬堂にて(主催:山代倶楽部)※なくなり次第終了

薬王院温泉寺

薬王院温泉寺

今を去る1300年聖武天皇の御代、行基菩薩が、白山登錫の途上霊鳥の指授により、温泉を発見しました。 寺宝には平安時代初期に彫像された十一面観世音菩薩像や鎌倉時代に彫像された不動明王像などを所有し、境内背後の高台には中興の祖とされる明覚上人の供養塔があり国指定重要文化財に指定されています。
◆石川県加賀市山代温泉18−40甲

【大晦日情報】
◆12/31
23:45~ 除夜の鐘 ※鐘をつきたい方は、係りへお申し出下さい(先着順)
24:00~ 新春大護摩供厳修

白山比咩神社

白山比咩神社

石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。 ふもとに暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。 やがて山への信仰は、登拝という形に変化し、山頂に至る登山道が開かれました。加賀(石川県)の登拝の拠点として御鎮座二千百年を越える白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
◆石川県白山市三宮町ニ105-1

安宅住吉神社

安宅住吉神社

古くより陸・海路の要所として栄えた北国の港安宅の地に祀られる安宅住吉神社は「安宅の住吉さん」として親しまれ、昔は安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・住吉宮とも称されました。 その創建は古く、歴史を遠く遡る事一千二百有余年前、奈良時代天応二年(782年)で、琴佩山に御鎮座されました。天暦二年(948年)鷹降山に天正五年(1577年)小倉野に御遷座され、さらに正保四年(1647年)現在の二堂山に御遷座されたのです。 その名は古典にもしばしば見られ、北陸道往来の人々が必ず詣でた古社で、古来、人生に於ける道先案内の神、開運厄除、交通安全、縁結び、また難関突破の霊神として多くの信仰を受け、「縁ありて社頭に詣づる人、誠を込めて神前に祈りを捧げば、その祈りは必ずや成就されん。」と云われています。
◆石川県小松市安宅町タ17

管生石部神社

管生石部神社

むかし疫病が流行しそれを鎮めるために用明天皇元年(585年)に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地にお遷しになり、疫病を鎮め五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。 中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられる。 住古より正親町夫皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸・富樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃等部門武将深く尊崇。
◆石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81

那谷寺

那谷寺

那谷寺はずっと昔、縄文時代の神まつりの霊地であった処です。縄文人は狩猟によって自分の命を支えてきました。いわば他の命を奪うことによって我が命にかえてきたので、他の生物への感謝の気持や命を奪うことへの恐れ、汚れの念を持ち続けていたと思います。 やがてそれは自然への畏敬の念や、人の生きることへの罪の意識として表れます。そして古代人は人の魂は輪廻転生すると信じており、魂はあの世とこの世を往復すると信じてきました。 特に加賀の国では、清らかで白き神々の住む白山に死後の魂が登って清められ地上に回帰する、という信仰が生まれました。 又、那谷寺の地には岩山と洞窟がたくさんあって、その洞窟は母親の胎内のようで、生まれる間に魂が清められる場所、魂のゆりかごの場所と信じていました。それならば生きている間に自分の罪を洗い清めるため洞窟に入って祈り、表へ出ることによって清められると思い、ウマレキヨマルためのイワヤ内で神まつりをしたのです。ところがそのイワヤ洞窟は白山の方角に向かっていたので、白山を遥拝する場所としてイワヤ本殿ができたのです。 那谷寺の境内は奇岩遊仙境を中心とした、山水画のような美しい景色です。人々は今度生まれるとしたら、この様な景色とともに過ごしたいとの思いからの自然智の信仰も生まれ、ますます境内をより美しく保つことになりました。
◆石川県小松市那谷町ユ122

永平寺

永平寺

今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。 境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。 永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。 8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家されました。 その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。帰朝後京都の建仁寺に入られ、その後宇治の興聖寺を開創されました。 寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。 翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。 以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。
◆福井県吉田郡永平寺町志比

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