北陸新幹線で東京—金沢が2時間30分・金沢観光のご宿泊は加賀温泉郷山代温泉へ

HOME > 山代温泉について > 開湯1300年。文人墨客に愛されたいで湯の街

山代温泉について

開湯1300年。文人墨客に愛されたいで湯の街

開湯1300年の歴史

開湯1300年 文人墨客に愛されたいで湯の街

神亀2年(725年)、行基という名の高僧が霊峰白山へ修行に向かう途中、一匹の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけたのが山代温泉のはじまり。この烏が、古事記や日本書紀にも登場する伝説の三本足の霊鳥「ヤタガラス」とされ、現在までに受け継がれています。

「あいうえお」ゆかりの温泉地

温泉街の中心地、総湯・古総湯のそばにある、薬王院温泉寺は、霊峰白山を祀る白山五院の筆頭寺院とされた古刹で、中興の祖であり、「あいうえお」の五十音の創始者としても知られる明覚上人が七堂伽藍を建立し、勅願寺として盛栄を迎えました。境内には明覚上人を供養する五輪塔(国指定重要文化財)があり、周辺を散策できる「あいうえおの小径」が整備されています。

文化人に愛されたいで湯の里

永禄8年(1565年)5月、傷を負った明智光秀もまた湯治のため、10日間にわたってこの山代に滞在したと伝えられています。光秀をはじめとした京都の人々にまで山代温泉の効能が知られ、全国から湯治に訪れたことが想像されます。このように全国各地から訪れた人々によって、山代の地に文化の香りがもたらされました。
そんな歴史と文化の積み重ねが文化人を魅了する、いで湯の街を育んできました。「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」と詠んだ与謝野晶子、「夢もおぼろな山代温泉」と記した泉鏡花、そして、食の世界・陶芸の世界でその名を知られる北大路呂魯山人の遊び心を刺激せずにはおかなかったのです。

PAGETOP